「ご注文は今から10分間」というCMでコールセンターを思うこと

通信販売の健康食品で「ご注文は今から10分間」といったテレビコマーシャルをよく目にします。この10分のためにコールセンターではスタッフを増員して対応しているのよね、と勝手な想像をしています。コールセンターは全国から集中する申し込みや問わせを、お待たせしないでさばいていくスゴイ所です。きっといろんなノウハウがあるのでしょうね。オペレーターはよく教育されていて、とても感じよく応対してくれます。
起業時は何かと不足しているものばかりである。人、モノ、カネ、すべてが不足しているがこれに文句を言ったところで何も変わらない。少しでも起業のリスクを抑えるために活用したいものが電話代行だ。これは自社の名前で電話を受け継いでくれる秘書のようなもので女性スタッフが電話代行をしているところに頼めばお客様からの安心も得られやすい。
大阪府茨木市宿川原町の国史跡「郡山宿(こおりやましゅく)本陣」にある、江戸時代の和時計(市文化財)。数年前から故障していたが、研究家の手によって修理されることになった。和時計の中でも古い型で現存は少なく、当時の技術を伝える貴重な品という。関係者は、再び時を刻み、江戸時代にも響いた鐘の音を聞かせてほしいと期待している。

 市教委によると、郡山宿本陣は江戸時代、京都と西宮を結ぶ西国街道で、大名や公家、幕府役人らが休憩、宿泊に使った。宿帳には、忠臣蔵で知られる浅野内匠頭の宿泊記録も残る。

 和時計は「鉄カラクリ一丁天符櫓台(いっちょうてんぷやぐらだい)時計」に分類される初期型という。機械部は鐘を含め縦37センチ、横と奥行きが各13.2センチ。置き台に櫓台を重ねてその上に機械部を載せると、高さ約1.2メートルになる。墨書きなどから京都の時計師の作とみられ、その活動が貞享・元禄期であることから、17世紀末ごろの製作と推定されるという。

 修理は、堺鉄砲研究会代表でもある澤田平さん(75)=大阪市東成区=が16日に行う。以前も修理して動くようにし、99年の市文化財指定に寄与した。古いだけに劣化は避けられないが、澤田さんは「大きく壊れたとかではなく、自然と動かなくなったようなので、何とか対応できると思う」と話す。

 当主の梶洸(たけし)さん(88)によると、和時計は出発や食事などの時を知らせて働いていたという。5人以上のグループでの事前予約などで本陣の見学を受け付けており、梶さんは「多くの人に鐘の音を聞いてもらい、和時計の技術を知ってほしい」と語る。

 グループでの見学予約は10日前までに郡山宿本陣(072・643・4622)へ。3月と11月には、予約不要の特別公開期間を設けている。【八重樫裕一】

【関連記事】
<武士の時代をしのんで>写真で見る 日本の城
<武士の時代の区切りを振り返る>咸臨丸150年:勝海舟ら乗せ太平洋横断 幕府使節団が米国へ
<ちょっと昔を思い出して>写真で見る いろいろな鬼太郎
<江戸からの伝統芸も披露>消防出初め式
<江戸から伝わる技>写真で見る つまみかんざし


 ◇採録年確定では国内最古
 宇佐市の極楽寺住職・国東利行さん(83)が、福井市の曹洞宗・普門寺で発見した江戸中期の僧・空念の蝦夷地(北海道)踏破の古文書を元に、「松前・蝦夷地納経記」を札幌市の北海道出版企画センターから出版した。空念の古文書には、納経のため立ち寄った地名や採録年(1704年)がはっきりしたものとしては国内最古のアイヌ語集もあり、資料が極端に少ないアイヌ語研究にとって貴重なもの。【大漉実知朗】
 ◇僧が蝦夷を歩く
 国東さんがまとめた松前・蝦夷地納経記によると、空念は、江戸後期の探検家・近藤重蔵(1771〜1829年)の蝦夷地調査より約100年前、寺社に納経などをする廻国僧として元禄3(1690)年から18年間、南は琉球、薩摩から北は蝦夷、樺太、千島まで全国を旅し、険しい山や神社仏閣に立ち寄った。
 ◇アイヌ語史に光
 空念が蝦夷地に足を踏み入れたのは宝永元(1704)年3月。蝦夷地巡りには松前藩のアイヌ語通詞(通訳)を連れ、アイヌ語と日本語の対訳を採録した。「雪ハ おばせ」や「妻ハ まちい」など気象や家族の呼び名など約460語を採録している。
 アイヌ語に詳しい北海道大大学院文学研究科・佐藤知己教授(48)によると、最古のアイヌ語集は「松前ノ言」(約120語)と言われるが、記述者不明で室町末期〜江戸初期のものという。佐藤教授は「現代アイヌ語は変容が激しいが、空念の資料は300年前のアイヌ語が記録されている。闇に閉ざされたアイヌ語史の解明に光りを投げかけた」と話す。
 また、古文書には4月、火山の臼岳(有珠山)に登り祈願し、6月には江差などを訪ねている。納経した証しとして住職や宮司が礼文をしたためた後、押印している。国東さんは「この時代に民間人が蝦夷地を歩いたことが記録されているのは画期的」と語る。
 ◇祖父の縁で大発見
 普門寺本堂は1955年に焼け、空念の他の古文書は焼失したが、松前・蝦夷地納経記の元になった古文書は残った。焼けた部分はあるが、判読可能だった。国東さんの祖父・飜迷(ほんめい)師は行動的な人で、67歳だった1893年に普門寺に行き、空念が全国行脚で宇佐神宮を訪ねたことを突き止め、記録に残していた。その記録を読んだ国東さんが「宇佐・国東の禅宗・浄土真宗の寺院史」の研究をしようと普門寺を訪ねたのが、今回、貴重な古文書の大発見につながった。松前・蝦夷地納経記は、国東さんが約4年かけ紀行文とアイヌ語集としてまとめた。
  ◇ 
 納経記はA5判で243ページ。3780円(税込み)。問い合わせは同センター(011・737・1755)。

1月14日朝刊

【関連記事】
出版:「安心院の昔話」収録本を 元教師ら、学校などに寄贈 /大分
舞踊会:新春華やぐ艶やかな踊り /大分
九州地域戦略会議:九州府なら3%成長 製造業強化、職員削減も−−知事講演 /大分
千日参り:受験生「春よ来い」−−宇佐・鷹栖観音 /大分
宇佐神宮新年短歌大会:選者賞1位に佐田さん 互選賞は堂本さん /大分